そもそもココについてお話しておきたかったから始めた話なのに、ドンドン横道に逸れる逸れる…
さて、黄金の2000年を越えて2001年に入った初っ端の1月
この月はMirror氏「Scene[2]SENTENCE」、AK1氏の「Azurewind」等、2001年を代表する傑作に恵まれた月でもあり、またこの月は静止画MADが没落していく始めの月でもありました
あの、1月20日の華音賞の中止。これを境にして、MAD界は冬の時代に入ります
MAD界隈のサイトに送られたKeyからの警告メールにより閉鎖がおこり、ポコポコと「はぬけ」の出て行くサイト
(個人的にはこのとき「狂動画大研究所」の号氏が抜けたのが惜しかったなぁ…)
そして、神月社氏の引退宣言。
そして「Conclude another style -Abyss- infinite rhyme」を最後にしての乃怒亞女嬢の引退
そもそもPremiereの限界に迫りつつあったMAD界隈は、作風としても目新しさを失って、これらを含めて閉塞感が漂っていた時期です
しかし、その裏で2001年というのは、MAD界隈を支えるインフラが整い始めた時代でもありました
例えば、「M@D Scene;fixed」等のMAD情報系
例えば、MADのup情報を載せる「Studio Hampty Dampty」
という時代背景の中でこの年の最後からあるイベントが始まります
あなたが選ぶ静止画MAD大賞2001
というわけで次はここのお話をさせて頂きましょう
投稿者 baban
2006/03/05 at 00:52
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投稿者 baban
2006/03/04 at 23:22
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投稿者 baban
2006/03/04 at 20:52
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ここまでで、おおよそ前後の歴史を話し終えたので、今回は技術面でのオハナシ
2000年度において、MAD作成のツールというのは事実上PhotoShopとPremiereの1択でした
いや、実際には(とみぃ氏の「Abstruct of Kanon」あたりから?)AfterEffectsの存在も知られていたのですが、正直当時すでにPremiere使いの力量は成熟し初めていて
これに追いついて、なおかつAfterEffectsに手を出そうという人間はとても少なかったのです
(あと、当時の人はPhototShopの使い方が上手かった)
そんなわけで、当時のtopの作家というと全員がPremiere使い、コレに99年代後半から見かけられたFinalEffectsの使用が重なって作風が成熟してきていました
(AK1氏とか、今真似しようと考えると気が遠くなるですよ、イヤほんと)
逆にそれは作風の偏りをあらわす訳で2000年も後半になると「PixelPolly」や「風」。「レンズフレア」等のエフェクト一辺倒で同じような作品が量産されている感じがあり、これをいかに抜け出すかというのが焦点のひとつになっていました
というわけで、当時の技術系の作家ではPremireに一部AEを混ぜて作るのが主流。AEで作成することでの利点も人によっては理解されていたのですが、AEに完全移行する人は特に見かけられませんでした
これがはっきり変わったが華音賞でSATURN氏の出した「f_innocent」。ここでAEを使って本格的に作品を作ったことで予選を1位で通過します
(当時はPixelPolly全盛で、AEのシャターですら新しかったのですよ)
じゃあ、これがササッとAEが主流になる原因になるのかというと、そうでもなくって、ここから続いていったS2H氏などの作家さんがAEを使いこなし始めるまで時間がかかるのですけどね
あとは、この時代の各作家と(多分)コレがこの年の代表作と言えそうな物をピックアップしてみましょう
作者 |
タイトル |
捏音たむ |
awareness |
AK1 |
Snowflakes |
神月 社 |
Tomorrow Never Knows The Final Chapter Phase-REAL:TRUTH |
NATU&AK1&LFY&MIRROR |
Winter Planet~Going my way~ |
乃怒亞女 |
Conclude |
パリオ |
KanosoDanceRevolution |
当時のレベルとか傾向なんていうのを理解するには、ここらへんは良い選別だと思います
本当はこれ意外にも紹介したい作品がたくさんたくさんあるのですが、それはまたの機会で。次は2001年代のお話でもさせて頂きましょうか
…気が向いた時に(ぉ
追記:というかね、最後に一つだけ、一つだけ言いたい。木霊さんが懐かしい話し始めてしまうから、ついふっとなって手が動いてしまったではありませんか
「COMIC EDUCATION」とか「mille_nayuki」とか反則
投稿者 baban
2006/03/03 at 11:46
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投稿者 baban
2006/03/03 at 11:15
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さて、さっきまでの第2回で2000年度の夏あたりまで書き終わりましたが、このあと2000年代を過ごしたオールドタイプには忘れられないイベントが始まります
プリズム工房主催の新人賞
そして公開動画華音賞です
正直な話、まだそれが始まったばかりとも言える静止画MAD界隈。それまで私の中にはイベントなんていう文字は全く頭の中にありませんでした
そういう意味で、新人賞には期待しましたよ、毎日巡回しましたよ(1回戦、WAKA氏のの「SUPER DANCE」とtasuki氏の「COMIC EDUCATION」は今でも忘れられない作品ですね、ホント)
さらにその後始まった華音賞、MAD界は勢いを持っていました、右肩上がりに伸びていく界隈に沸き立っていました
2001年の1月20日までは…
ええ、もう自分でも良く覚えていますよ、あの日の夜、テレホ時間になった瞬間に真っ先に華音賞のサイトにジャンプしたら文面があって
「Keyからメールがきた、電話で確認取ったら本物だったので中止」
ええ、もう自分でも良く覚えていますよ、あの日の夜、自分が凍り付いた瞬間を
おおよそ、これ以降2、3年の間、華音賞以前と以後を黄金期、氷河期と分けて
大体いろんな人に聞いても、一般的にオタク全般がMADに手を出していたと言える時期もコレと重なっていて、人に聞いても「この頃までは見ていた」という言葉を多数聞きますね
投稿者 baban
2006/03/02 at 21:49
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投稿者 baban
2006/03/02 at 21:46
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というわけで、短期間にババッと書いてしまわないと気力が尽きたら終わりなので書き続けましょう
およそ99年代では「Premiere作れればそれだけでスゴイ!」から、2000年代では「スゴイ作家とたいしたこと無い作家がいる」に世間の認識が移り始めていた頃になり始めていました
そんな作家達の中で、特に注目を集める2人の作家が居ました
そう、俗に言う、神月&乃怒亞女時代ってヤツです
ちなみに、私神月氏の名声なんてゼンゼン理解していなくってもっぱら乃怒亞女嬢の「きじゅあと」とAK1氏の「VARTUAL-LEAF」に貼り付いていた記憶があります(というか神月氏は神藝工房のリーダーというのと、リメイク作品をバンバン転がすスピードが足し算されてのあの名声と自分には見えます
…ここらへんで私が静止画系に完璧に転び始めます
きっかけは「WINTER KANON」というのは言いましたが、この後、ルビーの指輪氏の「廻夢」
ここらへんで動画MADへの未練が消えていきます。
はっきり言って頭を静止画MADに占領されました。
昼間起きてから、いつの間にかMADの事考えていました。
「アノMADのあのシーン」が昼真っから「すうっ」って浮かんで来ました。
(君たちにもあっただろう!そう言う時期がっ!)
そしてトドメです。
「Winter Planet」
「わたしはコレで動画系の巡回やめました」
丁度ここらへんが俗に黄金期のオハナシ(以前も言ったっけ?)。静止画MADというのがオタク達の間に浸透していった時期です。
ここから夏が過ぎて、2000年度後半のイベント新人賞と華音賞に雪崩れ込むのですが、今日はここら辺で切っておきましょう
投稿者 baban
2006/03/01 at 23:01
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投稿者 baban
2006/03/01 at 22:41
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