たまにはMADの昔話でも:2000年代、その3

さて、さっきまでの第2回で2000年度の夏あたりまで書き終わりましたが、このあと2000年代を過ごしたオールドタイプには忘れられないイベントが始まります

プリズム工房主催の新人賞

そして公開動画華音賞です

正直な話、まだそれが始まったばかりとも言える静止画MAD界隈。それまで私の中にはイベントなんていう文字は全く頭の中にありませんでした

そういう意味で、新人賞には期待しましたよ、毎日巡回しましたよ(1回戦、WAKA氏のの「SUPER DANCE」とtasuki氏の「COMIC EDUCATION」は今でも忘れられない作品ですね、ホント)

さらにその後始まった華音賞、MAD界は勢いを持っていました、右肩上がりに伸びていく界隈に沸き立っていました

2001年の1月20日までは…

ええ、もう自分でも良く覚えていますよ、あの日の夜、テレホ時間になった瞬間に真っ先に華音賞のサイトにジャンプしたら文面があって

「Keyからメールがきた、電話で確認取ったら本物だったので中止」

ええ、もう自分でも良く覚えていますよ、あの日の夜、自分が凍り付いた瞬間を


おおよそ、これ以降2、3年の間、華音賞以前と以後を黄金期、氷河期と分けて

大体いろんな人に聞いても、一般的にオタク全般がMADに手を出していたと言える時期もコレと重なっていて、人に聞いても「この頃までは見ていた」という言葉を多数聞きますね

投稿者 baban 2006/03/02 at 21:49

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