ファイル公開の歴史とか
元々現在の静止画MADの界隈というのは、動画MADコミュニティから自然発生的に枝分かれしたコミュニティなのですが、るかか氏が「残酷な月島のテーゼ」で静止画MADというジャンルを開拓した98年ごろのネットの回線速度というのは56kが標準、常時接続なんていうものも一般ユーザーの間には存在しない時代でテレホ時間に眠い目をこすりながら明日起きれるかを心配してやった時代です。
このころはまだ動画のサイズも画面が160*120でノイズのおおいもの。正直テキストよめねぇとか苦労したりもしました。
ファイルサイズもたいしたものでなく、それぞれ自分のサイトに上げているのが普通でした。
これが320*240に変わってファイルサイズも次第に増えていったのが99年度の事。
乃怒亞女嬢が新作を公開すると、アカウント即死なんかが定着していた頃です。(そういえば「みなさんのおすすめむび・Mirror23」なんてタイトルもありましたね、あれは2001年の事ですが)
実際、当時ファイルの置き場というのはそれなりに困った問題で、それに関する知識のない作者は、上げては消される面倒くさい状況に色々苦労したモノです(YorNさんのファイルの上げ方なんかは当時確立して現在でも続けているカンジですよね)
しかし、状況は激変しました、主にP2Pソフトの登場で。(それ以前にもファイルの偽装、分割ツールの乱立などから、適切な結合、解凍がだんだんと修得の難しい技術になってきていたりしていましたが…)
違法のファイルアップロードがP2Pにシフトしていく中で、サーバー側の態度もだんだんと慣用になって、アップロードする場所に困ることも減りました。「ねったく」とか「地球病」なんて言葉は現在では死語になり、アップ職人なんて人ももう見かけなくなりました。
おかげで新作公開したら転送量15G越えて、サーバー会社から叱られたなんて言葉も気にする人もかなり減りました。
これが2002年、または2003年までのネットに起こった変遷と、界隈への影響です。
そういう変化の間に、2001年に新作の公開情報掲示板とかが登場しているわけです。
つまり、界隈の閉鎖性の原因には、実は2つの原因が大きくあって
- 著作権に関する法的な意味で慎重さ
- ファイルの公開場所を守る意味での慎重さ
があり、おおよそ2003年以降、後者に関する意味での慎重さが消えてきた。
実際、SHD(Studio Hampty Dampty)の時代には、新作情報を載せられるとファイルが即死するからやめてくれ、と一騒動おきていたのが、現在ではまったくありません。
そして現在のMAD界隈のルールはおおよそ2001年までにできたものを現在でも踏襲している。
現在の作品の公開場所というのは、そういう地盤の上に出来てきたなんとなく伝統となっているものの上に出来ているわけです。
そしてニコニコ動画の登場というのは、そういう伝統を作ってきた土壌の地殻変動だったりするわけです。
いや、だから何が言いたかったのかというとなんでもないのですがね。
投稿者 baban 2007/10/20 at 18:00