たまにはMADの昔話でも:2000年代、その2

というわけで、短期間にババッと書いてしまわないと気力が尽きたら終わりなので書き続けましょう


およそ99年代では「Premiere作れればそれだけでスゴイ!」から、2000年代では「スゴイ作家とたいしたこと無い作家がいる」に世間の認識が移り始めていた頃になり始めていました


そんな作家達の中で、特に注目を集める2人の作家が居ました


そう、俗に言う、神月&乃怒亞女時代ってヤツです


ちなみに、私神月氏の名声なんてゼンゼン理解していなくってもっぱら乃怒亞女嬢の「きじゅあと」とAK1氏の「VARTUAL-LEAF」に貼り付いていた記憶があります(というか神月氏は神藝工房のリーダーというのと、リメイク作品をバンバン転がすスピードが足し算されてのあの名声と自分には見えます


…ここらへんで私が静止画系に完璧に転び始めます

きっかけは「WINTER KANON」というのは言いましたが、この後、ルビーの指輪氏の「廻夢」

ここらへんで動画MADへの未練が消えていきます。

はっきり言って頭を静止画MADに占領されました。

昼間起きてから、いつの間にかMADの事考えていました。

「アノMADのあのシーン」が昼真っから「すうっ」って浮かんで来ました。

(君たちにもあっただろう!そう言う時期がっ!)

そしてトドメです。

「Winter Planet」


「わたしはコレで動画系の巡回やめました」


丁度ここらへんが俗に黄金期のオハナシ(以前も言ったっけ?)。静止画MADというのがオタク達の間に浸透していった時期です。

ここから夏が過ぎて、2000年度後半のイベント新人賞と華音賞に雪崩れ込むのですが、今日はここら辺で切っておきましょう

投稿者 baban 2006/03/01 at 23:01

no comments no trackbacks

コメント

(leave url/email »)

前のコメント